私がフィラリアについてこだわるのには理由があります。
今から25年前、私がまだ小学校低学年のときに飼っていたチロのことが
あるからです。
チロは私が物心ついたときから一緒に暮らしてきた紀州犬MIX。
母がどこからともなく拾ってきた子。
非常に気性が荒く、家族以外の人には慣れることはありませんでした。
引きも強く私は一度も散歩をさせてはもらえませんでした。
でも毎日学校から帰ってきてはチロと遊び母とお散歩に行く事を楽しみにしていました。
ある日、外飼いだったチロの体に異変が現れました。
血を吐き、ぐったりと。病院に連れて行くと、大量のフィラリアがいて血管が破裂
していて、手術をしても助からないと。
何も出来ないまま時は過ぎ、チロのお腹は日に日に膨らんでいきました。
意識がもうろうとしているチロを病院まで運び、行われたことは安楽死でした。
当時の私には安楽死の意味が理解できませんでした。
なんで生きているのに殺すのか。チロを殺した人。チロを殺した病院。
そう思うことしか出来ませんでした。
大きくなってからもその病院の前を通ることさえためらっていました。
今は違います。すべての責任は飼い主にあるということ。
母の間違いを私は繰り返すわけにはいかない。
フィラリアなんかで幸くんを失うわけにはいかないのです。
もうあんな思いは二度としたくなかったのです。
最近、お散歩をしていると蚊が飛んでいます。(田舎だから)
予防薬飲ませる時期になりました。
今日の二人。
翔たん、ウインク